インタビュー 第7回 イワン
テラ (以下 T):イワンさん、それではインタビューを始めます。よろしくお願いします。
ホームページで他のメンバーのインタビューは見たことありますか?
イワン (以下 I):兄ちゃんとみなりんさんのは全部読みましたが、ごんさんとか他の人の全部は読んでないです。とても長くて、あまり時間もなかった(笑)
T:イワンさんのことを知ってもらうために出身のことをお聞きしたいのですが、出身はロシアのどの辺りですか?
I:ロシアの中のウラル山脈の近くで、ヨーロッパとアジア大陸の境目にあたるアジア側で生まれました。
I:エキチェリンブルクと言います。
有名なロシアの皇帝でエキチェリーナ2世の名前からきています。
T:日本にくることになった経緯を教えてください。
I:学生時代に日本語に興味を持って勉強していました。しかし住んでいる所には日本人が全然居ません。モスクワに行けば少しは日本人観光客が居ましたけど、実際に日本語を使うチャンスはありませんでした。
日本語を使うようになったのは仕事でウラジオストックに住むようになってからです。
当時、ウラジオストックは軍港だったので閉鎖されてまして、日本人はもちろんロシア人でも自由に入れなかったです。しかし1991年にソ連が自由になって、軍港もオープンになって、外国人でも自由にウラジオストックに入れる様になりました。
特に日本人の観光客がたくさん来るようになり、通訳が足りませんでした。
日本語が少しでも分かればすぐに雇われました。当時私は日本語を翻訳とかしてたので読むことはできましたが、話すことはできませんでした。でもちょっと勉強して観光客を案内できる程度には話せるようになりました。
T:その頃イワンさんは何歳ぐらいでした?
I:37歳ぐらいだったです。
T:ウラジオストックに住むようになった前はどうしてたんですか?
I:ウラル山脈の学校を出て、17歳でモスクワ大学に入りました。
T:モスクワ大学では何の勉強をしてたのですか?
I:地理学を専攻して、あと経済学をちょっと勉強しました。
T:大学を卒業してからは?
I:1977年に卒業して、モスクワから100キロほど離れたところにある科学の街、オブニンスクという所に家族ごと引っ越しました。
T:オブニンスクでどんな仕事に就職しました?
I:政府が運営している世界中の色々なデータを分析したりするワールドデータ分析センターに入りました。そこで地理に関する仕事をしてました。
T:ウラジオストックに行くことになったのは?
I:それはちょっとロマンスの話になります。
T:ロマンス?
I:バカンスで出かけた旅行先で知り合った女性がいて、その人は今の奥さんですけど、彼女がウラジオストックで仕事をしてました。
それで私もウラジオストックに住むことになりました。
T:ウラジオストックでどんな仕事を?
I:ウラジオストックでは海洋科学研究所に入って仕事してました。
T:日本に来ることになった理由は?
I:日本とロシアの間で市民交流が活発になってきて、平和擁護委員会の子供達の代表団と一緒に大きい乗客船に乗って通訳として初めて東京にいくことになりました。東京ではディズニーランドや東京タワー、上野動物園、築地市場などの観光をしました。
その他にも、鳥取県の県議会議員や社会活動家が国際交流団としてウラジオストックにやってきて交流したり、ロシア側から鳥取県に交流団が行くこともあって、そこに私も通訳で参加しました。
当時ロシアは不況になっていて、国家予算からのお金があまり科学アカデミーに流れてこなくなって、私も時々給料を貰えない時がありました。
それで、私は通訳の仕事などをパートタイムでやって生活してました。
鳥取県で知り合いになった印刷会社の社長さんに3ヶ月間研修という形で日本に行き、仕事をさせてもらったこともありました。
T:本業の海洋研究所の方はどうしてたのですか?
I:3ヶ月間の無給休暇をもらいました。鳥取県には2回行きました。2回目は妻も一緒に行って社長さんの家に住まわせてもらいました。今でもその社長さんとは付き合いがあって、年に2回は鳥取に伺います。以前にキャバリーノが鳥取に遠征試合に行った時、試合が終わって皆さんは帰りましたが、私だけ残ったのは社長さんに会うためです。
T:そういえばイワンさんと一緒に帰らなかったのを思い出したよ。
敦賀に来ることになったきっかけは?
I:ある時、ウラジオストックに横浜からの国際交流団がきました。沢山の人数だったので通訳が全然足りません。私も当然雇われました。その交流団のアレンジをしていたのが、今働いている敦賀の会社のラックスマンエンタープライズです。ラックスマンエンタープライズは貿易会社ですが、元々は国際間の文化交流を目的として出来た会社です。
T:ラックスマンエンタープライズという会社名の由来は?
I:ラックスマンはエキチェリーナ皇帝の時代に、ロシアから初めて大使として日本に来た人です。会社を作った1992年がラックスマンが日本を訪問して、ちょうど200年経った年だったため、それを記念にして会社名にしたということです。
T:なるほど。
てっきり会社の社長さんの名前と思っていたけどそういう由来があったんだ。
I:ラックスマンエンタープライズの社長さんが交流団と一緒にウラジオストックに来たのですが、そこで通訳として働く私を知ったのです。私は全然覚えていませんが、社長さんは覚えていてくれました。
ラックスマンエンタープライズが敦賀でビジネスをスタートする時、ロシアのビジネスパートナーとして私を雇ってくれました。それで最初は2~3週間敦賀に来て一緒に仕事をする様になりました。
T:ここまで長かったな、やっと敦賀に来た話にたどり着いた(笑)
敦賀には2、3週間だけの滞在で、海洋研究所の仕事は続けてたのですか?
I:ロシアに戻った時は研究所で働いてましたが、ラックスマンエンタープライズは最初の頃に比べて取引もだんだん増えてきて忙しくなってきました。
それで私はそれまでのパートタイムから正式にラックスマンエンタープライズで仕事をすることになりました。それが1998年の事です。
T:イワンさんがサッカーを始めたのはいつ?
I:海洋研究所で働いている時、週に2回ほど昼休みに皆でサッカーをします。みんな夢中になってするので、昼休みは1時間ですが、仕事を忘れて2時間でも3時間でもサッカーしてました。(笑)
T:職場的にそれは大丈夫なの?
I:昼休みのサッカーは副所長さんや研究室の室長も一緒になってしてたので、誰も文句言わない(笑)
その当時私は35歳ぐらいだったのですが、サッカーを始めたのは研究所の昼のサッカーが最初です。
T:キャバリーノはどうやって知りましたか?
I:敦賀でもサッカーがしたいと思って社長に相談したら、社長の知り合いのサッカー協会の人を紹介してくれました。その人がキャバリーノを紹介してくれてチームに入る事になりました。
T:キャバリーノに入った時のチームの印象は?
I:その当時私は44歳でテラさん達とは年齢差があったけど、最初から仲良くしてくれて、とても良い印象でした。あれから16年ぐらい経ちますが、今でもこのチームは誰が入ってきてもすぐに仲良くなれる雰囲気がある。それはとても良い事と思います。
T:ところでイワンさん今おいくつですか?
I:もうすぐ60歳になる。
T:驚きです。雰囲気がチームに入った頃とほとんど変わってないです。
イワンさんはサッカーのどういうところが好きですか?
I:サッカーをやると、他の日常生活のトラブルを全部忘れることができる。サッカー以外のエクササイズを色々やりましたが、なかなか続かない。ランニングをしたり、ヨガもやりましたが続きませんでした。結局怠け者です。
サッカーは一緒の動きがない、ゲームの中で色々しなければならないから夢中になれる。
T:サッカー選手で好きな選手や注目してる選手はいますか?
I:中村(俊輔)選手です。
T:中村俊輔選手のどういう所がいいですか?
I:性格がいいみたいです(笑)
T:サッカーのプレーじゃなくて、性格がいいから?
I:例えば本田選手はロシアでも人気ですけど、あまり性格は良くない(笑)中村選手は性格も良いですけど、
プレーの方も万能だからです。
T:海外のサッカーを見ることは?
I:この家のテレビはケーブルテレビを繋いでないので見れないです。
ロシアに帰ると、ロシアのリーグはもちろん、ヨーロッパのサッカーでイングランド、スペイン、イタリア、フランス、ドイツのリーグが見れます。
T:サッカーでイワンさんの得意なプレーは?
I:あんまり得意なことはないですけど、ある程度できるのはストッパー的な事です。
一番最後のディフェンスじゃなくて、真ん中で邪魔をする事です。
T:それでは苦手なプレーは?
I:苦手なのは最後のディフェンスです。誰も後ろにいない状態(笑)
T:サッカーを上手くなるために練習の時に取り組んでいることはありますか?
I:いいパスを届けることができるように頑張っています。それとあきらめないでボールを奪うことを頑張っています。リフティングは最近ぜんぜん出来なくなった・・・。
T:昔からイワンさんはリフティングが出来るイメージないですけど(笑)
I:そうですね(笑)
T:サッカー以外の趣味を教えて下さい。
I:趣味は色々あります。ひとつは見ての通りコーヒーの空き缶を集めることです。
T:これは何個ぐらいあるの?
I:全部種類が違って1200個以上はあると思います。もう数え切れない(笑)
T:何のために集めてるの?
I:1個1個入ってる成分が違います。それを分析するために集めましたが、なかなか時間がない。
T:元々がイワンさんは研究者ですからね。
他の趣味は?
I:本の編集をしています。今やっているのは、私の先祖さん達の活躍について昔の資料を集めて本にするために頑張っています。
他にも旅行することが趣味で、一昨年はモスクワからエキチェリンブルクまで自転車で旅行しました。
T:どれくらい距離があるの?
I:2200キロぐらいあります。今年はその旅の続きをしたいと思っています。
T:2200キロ!!??凄い距離ですね!
ところでイワンさんは12月でも海水浴するっていうのは本当?
I:本当です。8月に泳ぎ始めたら、それを12月まで続けます。
一昨年はここの杉津の海で最後に泳いだのは12月2日ぐらいでした(笑)
T:ホンマなんや・・・
I:泳いだついでに海岸のごみを拾いました。
T:イワンさんはもうすぐ60歳ですけど、これからチャレンジしたいことはありますか?
I:自転車の旅を続けたいと思います。今度はウラル山脈からアルタイ山脈までカザフスタン経由で行きたいと思ってます。
T:俺もそんなアドベンチャーしたいな。
ところで今の仕事は何歳まで続けますか?
I:あと4、5年は続けるつもりです。ちょうど5年後には東京オリンピックがあるので、辞めた後はボランティアしたいです。
T:イワンさんのキャバリーノでの一番の思い出は?
I:色々あって一番を決めるのは難しい・・・鳥取や金沢に遠征試合に行ったこと、忘年会に行ったことです。
私はあまりお酒飲めないのですけど、忘年会は楽しかった。
T:あまりお酒飲めなかったの?
I:昔、勝利したお祝いにこころ(魂)というお店で、飲み会をした時の話ですけど、私は水割りを少ししか飲んでいなかった事を驚かれたので、ウイスキーをストレートでコップ2杯飲んだんです。そうしたら、目の焦点が合わなくなり、意識がなくなりそうになりながらもどうにか帰りました。帰ったらぶっ倒れて寝てました。二日酔いが治るまで3日間かかりました(笑)
T:ロシア人なのにお酒に弱いと思われたくなかったのね(笑)
I:キャバリーノで一番良かったのは何がって言うより、キャバリーノのチーム自体です。チームの雰囲気、運営の仕方、テラの決断の仕方なんかが凄いですね。メンバーの年齢がそれぞれ全然違うのに、全然緊張せずにとても自然に話しができますね。それが凄いです。
こういうチームの例は他に知らないです。みんな平等で、悪いプレーしたらちゃんと指摘をされるし、良いプレーをしたらちゃんと褒められる。そういうところが刺激になってどんどん頑張ろうという気持ちになれます。
T:チームのことをすごく気に入ってくれて凄く嬉しいです。
ところで、もうすぐ今シーズンがスタートしますが、イワンさんの目標は?
I:残念ながら4月22日にロシアに帰ってしまいます。
T:え、帰っちゃうの??
I:10月にビザの関係でまた来ます。
T:それなら秋に開幕する敦賀リーグは出れるな。
I:私の意気込みとしては、チームが勝って、私も1点決めたいです。
T:公式戦での得点はまだなかったんだっけ?
I:練習試合では1点取りましたが、公式な試合ではまだないです。
T:最後に、インタビューをイワンさんの自宅ですることを強く希望した理由は?
I:みんなにイワンが住んでいる自宅の雰囲気を味わって欲しかったことです。
それと缶コーヒーのコレクションを見せたかった(笑)
杉津は市内から遠いので、なかなか誰も来てくれない(笑)
T:そうですね、杉津は少し遠いと思いました。でも、おかげで今回のインタビューはいつもと違う雰囲気で紹介できると思うので来てよかったです。
今日はインタビューにお付き合いいただき有難うございました。
2015/03/14