FCキャバリーノ誕生ストーリー
1994年、季節はW杯アメリカ大会が始まるという時期、それまで全くといっていいほどサッカーに興味がなかったテラが友人の渋谷と遊んでいるときのこと、ふと「ワールドカップってもう始まっとるんけ?」とテラ、「まだやったと思うけど」と渋谷、「今回のワールドカップで注目されてるスターって誰かおるの?」 テラよりは少しサッカー事情に詳しい渋谷が、「誰やったかな・・・確かイタリア代表でロベルトバッジョっていう選手やったと思うけど」 「ふーん・・・」というテラ。こういう会話があった・・・。


その後、当時トヨタの販売店にて無料で配布していたワールドカップ観戦ガイドを入手したテラが、渋谷の言うイタリア代表のロベルトバッジオの記事を目にしていた。「渋谷の言ってたバッジョってめっちゃかっこいいやん、ぜんぜん興味なかったけどワールドカップちょっと見てみようかな・・・」そうしてワールドカップ観戦ガイドを基にテレビでワールドカップを観戦するテラがいた。そして周知のとおりロベルトバッジョは予選リーグこそ不振だったものの決勝トーナメントに入ってからの大活躍でイタリア代表を決勝戦まで引っ張っていく。その活躍にテラは大興奮した。ブラジルとの決勝戦は延長戦でも決着がつかずPK戦に・・・。5人目のキッカーとして登場したバッジョはまさかというPKをゴール上に外してしまい、イタリア代表は敗れてしまったが、バッジョのドラマチックな活躍とPKを外したイタリアの10番のうしろ姿は、テラをバッジョのファンにしサッカーファンとするには充分だった。


ワールドカップが終わり、「あ〜サッカーして〜!なぁ渋谷サッカーしようぜ!」とすっかりサッカーの虜になったテラはバッジョと同じスパイクを履き、渋谷とふたりでサッカーボールを蹴り始めた。そのうち二人より三人、三人より四人と身近な友人を誘ってのサッカーが始まり、それが現在のキャバリーノの原点となる友人たちだった。しかしテラも渋谷も高校時代は弓道部だったため、集める友人もほとんどサッカー経験などなく、サッカーといえないようなレベルだった。それでもサッカーのおもしろさにスッカリはまったテラは、寝ても醒めてもサッカーのことしか頭になく、少しでも時間があれば一人で家の前の駐車場や路地でボールを蹴っていた。


FCキャバリーノ創設メンバー

1995年になり、テラのサッカー仲間はある程度の人数になっていた。(ほとんどがシロウトだが・・)そしてメンバーの間では練習はいつも5人対5人程度のミニゲームなので、11人対11人で試合をしたいという話が出るようになった。その頃タイミングよく新聞で嶺南サッカー大会参加チーム募集をしているのを見つけた。この年の夏にあるトーナメント方式の嶺南サッカー大会である。この大会に向け本格的にチームを作ることになり、チーム名の決定やユニフォームの作成、チームのメンバーを更に増やすための募集活動や練習場所の確保など、色々と大変だったが当時のメンバーはその苦労を楽しみながらやった。


よく聞かれる「FCキャバリーノ」というチーム名の由来だが、当時チーム名を決める際にいろいろメンバーから意見をだしてもらい、その中には「スナイパーFC」、「FCアフターバーナー」などなど色々あったが、キャプテンのテラがイタリア好き&フェラーリ好きということから、「跳ね馬」という意味のイタリア語「キャバリーノランパンテ」からキャバリーノを切り取って「FCキャバリーノ」というチーム名に決まった。そして当然ながらチームのシンボルマークも「跳ね馬」となった。ユニフォームデザインは岸ちゃんが「イタリアのACミランっていうチームの赤黒の縦じまがカッコいいんちゃう。」という一言があり、特に他に意見もないことからユニフォームデザインは赤と黒の縦じまにすることとなった。この様な経緯から「FCキャバリーノ」が誕生となった。


嶺南大会に向けて練習を積んできたFCキャバリーノだが、デビュー戦となる試合はなんと高校生チームである「若狭高校Aチーム」と対戦することになり、奮闘むなしく0−14というの圧倒的大差で負け1回戦敗退となった。試合後の反省会ではあまりの得点差に落ち込むメンバーもいたが、大半のメンバーは試合経験が少ないことが原因だから、試合経験をもっと積めばもっと自分たちのやりたいサッカーができるようになり、いずれは勝てる時がくるはずという意見で一致した。大敗はしたが、これにより翌年に敦賀市サッカーリーグに参戦し皆で頑張ろうというきっかけとなった試合となった。

以上がFCキャバリーノ誕生ストーリーである。
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